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デザインとプログラムと、なんだろう

自分と競う

2022.09.28

小学校から野球をはじめて、大学まで続けた。
もちろん良いことばかりではなく、悪いこともたくさんあった。
だけど、どんなに悪いことでも試合で結果が出たときの喜びと比べると
ちっぽけなことだったように感じる。

ただ、社会人になるとやっぱりそのような機会は少なくなる気がする。
年をとると時間が過ぎるのが早く感じるのは
そのような機会が少なくなるというのも理由の1つなのかもしれない

以前私が出場したボディビル(正確にはベストボディジャパン)の大会で高校時代の先生に会った。その先生は既に50歳を超えていて、私が高校時代にお世話になっていたときは筋トレをやっている所は見たことが無かった。
だから会場であった時はびっくりして最初誰だか分らなかった。

しかも、相当減量を頑張ったのだろうなというのが身体から見て取れて、
まさに筋肉の上に皮一枚といった感じだった。

先生に「どーして大会に出場する気になったのですか」と尋ねると、
「この年になると誰かと競ったり、無理なんじゃないかと思うことに挑戦することも少なくなる。確かに大会に向けての減量は身体はしんどいけど、それが気持ちいい」とおっしゃっていた。

やっぱり何歳になってもそうゆうチャレンジをすることは大切なんだと改めて感じたし、心なしか先生が私がお世話になっていた時より若く見えた。
減量が気持ちいいと思えるのはよくわからない(笑)

筋トレは日々自分の成長を実感できるものだと思う。
続けていると気づいたときには身体は変わっているし、
扱う重量もどんどん伸びていってくれる。

私が尊敬するボディビル界のレジェンドの方はすでに競技歴30年になるが、
「身体はここから大幅に変わることはないし、扱う重量も上がることはないが、毎年新たな発見がある」とインタビューで答えていた。

30年続けて、はたから見たらもう極めてしまって退屈なのではないかと思ってしまうような人でもこのように答えているのだから相当奥が深いのだと思う。

最近私はトレーニングの記録をノートに残すようになった。
記録するようになると、以前の自分に負けちゃいけないと多少疲れていても
重量や回数を落とすことが無くなって、妥協することが少なくなった気がする。

確かに大人になると誰かと競ったりということは少なくなる。
ただ、本当に競うべきなのは昨日の自分や今日の自分なのかもしれない。