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デザインとプログラムと、なんだろう

ジム

誰かが簡単にこなしていることを真似するのは難しい

2022.09.26

何をやっても、ある程度、人より優れた状態で出来てしまう人って必ずいる。
小学校の時、勉強もできて運動もできて、絵も作文も習字も上手で、朝礼の表彰で何度も名前を聞くような子がいた。多彩でしかもかわいい女子だった。

これだけは、と思うもので頑張っても、その子以上にはなれない。
多くの子がこんな風に認め、諦めていたのではないかと思う。

中学生の時、先生の言葉で価値観が変わった。

国語の先生に、自由テーマで書いた作文を
「おもしろかったよ。でも推薦するような作文じゃないんだよね」
美術の先生に、塩ビに傷をつけてつくる版画の授業で
「面白いよね。でも推薦するような絵じゃないんだよね」

2人の先生はとにかく褒めてくれたけど、万人ウケしないような作文や絵は推薦作品にはならない。もしかしたら、一生懸命やっている姿を褒めてくれただけかもしれないけど、「おもしろい」という評価をいただけたことが当時はすごくうれしかったし、「普通」ではないという評価も同時にもらえた気がして、それもうれしかった。・・・この流れで文章を書いていると、小学校の時優秀だった子の批判になってしまいそうなので注意しながら書こう。

小学校の時、本当はちょっと悔しかったこともあった。
当時は本当のことは言わなかったし、それが実力と思っていた。
でも今は、当時の評価基準って結構単純だったのではないかとも思う。
誰かひとり、認めてくれて評価してくれる人がいれば、それは嬉しいこと。自分以外の人が認めてくれるなんて、本当にうれしいこと。


私はとにかく負けず嫌いなので、誰かが「できている」ことは、自分にもできると思いたい、という気持ちが強い。
今、何より頑張っているのは筋トレ。
なんでそっち?と思われるかも。
でも、たった10回、15回で途中で諦めるなんてことはしたくない。
その繰り返し。
自分の力で、自分の身体を変えている人が何人もいて、自分にだってきっとできる、と思っている。

しかし、毎回思うのは実際にそれをこなしている人は、いとも簡単に実現しているように見える。実際になにげなくやっている人もいるだろうけど、影に大きな努力がある人もいるだろう。
「誰かが簡単にこなしていることを真似するのは難しい」
以前勤めていた会社で、上司にいただいた言葉。
「真似をする必要はないが、見た通りにやってみるのは一番の近道。その後で、自分のやり方を探せばいい」
年長者はいつでも素晴らしい言葉をくれる。
悲しいことに、その言葉の重みを知るのはだいぶ後になってからなのだけど、今でも覚えているということは、当時も何か感じたことは確か。

努力してもしなくても、得られる結果が同じであれば評価も同じ。
悲しいことに「結果が全て」でもある。
ただ、努力を誉めてもらえたらそれもとても嬉しい。