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デザインとプログラムと、なんだろう

言葉にならない威圧感を避ける。なんかイヤ、の「なんか」の排除

2021.02.28

日常の制作作業の中で、これどうするんだっけ?
という時はクリエイター・デザイナーのサイトやブログを調べると出てくる。
チエブクロ(?)みたいなサイトで質問に答えてくれるのもある。

質問に対する回答で
「こんなのも知らないならやらない方が良い」みたいな悪い表現を見ることがある。
でも解決方法を回答してくれているから親切な人なのかも。

少し専門的な内容を他の人よりも自分が知っているという場合に、発生しやすいと思う。
たいていは、例に挙げた質問回答系サイトほどはっきり言わないにしても、相手をすこしだけ卑下するような受け止め方をされてしまう表現や振る舞いがある。
「こんなの常識でしょ」 「なんで知らないの?」
という、言葉にしない威圧感を与えてしまうことがある。

先輩に初歩的な質問をしたら、教えてくれたけど「なんでそんな簡単なこと聞くの?」みたいな不思議な表情をされた。実際にそう言われたわけではないけど無言のアレ。
感じたことあるでしょうか。

その先輩は、後輩からすると
「あの先輩なんか怖い」
になる。「なんか」というのが結構やばい。
「なんかムカつく」
「なんか嫌い」
「なんかイヤ」
後輩から見るとこの先輩のイメージは一生このままかもしれない。
取り返しがつかない。人間関係を良い方向に修復するには結構な時間と労力を要すると思う。
そして、これらは本人同士が感じるもので、第3者からするといたって普通の会話なのがやっかい。

弊社のような仕事をしていると、専門用語を並べ立ててしまうことでもこの「嫌な威圧感」を与えてしまうことがある。専門用語は必要な時だけ使う方が良い。
でもあまり専門用語を避けすぎると、詳しいお客様から見ると物足りない場合もあるので、匙加減も重要とも思う。

それに、「常識」とか「普通」を自分基準にしないで、客観的な一般論を持っていることができたら回避できるのかも。それはつまりは世間を知るということだろうか?
自分はいつでも「常識」や「普通」であるわけではない。
でも、もしかしたら相手の方は「常識」や「普通」を自分基準で考えている。だとしたら、相手基準で「常識」や「普通」を考えたら、もっと歩み寄れるのかも。


しつこいくらいブログに書いている「なんかイヤ」の「なんか」の排除。これに対する努力はずっと続けていこう。
毎回書いてしまうこのテーマ。しつこいけど「小さな感情」って大切、とまたあらためて思う。
なぜこんなにしつこいのかには理由がある。

日頃のデザイン。
特にフライヤー・リーフレット・ポスターなどのデザイン。
商品やパッケージデザインの場合はもっと顕著。
ほんの、小さな感情変化で手に取る商品が変わってくるから。だからこの小さな感情の動きがとても気になる。

コンビニで、新しい商品が目に留まったらそれはほぼ奇跡。どうして目に留まったのか、たいていは分からない。色?コピー?デザイン?
そして時々、
どうして目に留まったのか、
どうしてこの沢山ある商品の中からこれを手に取ったのか、
なぜこのポスターはこんなに目を引くのか、
自問自答しながらコンビニやスーパーで時々立ち尽くし、知り合いに会っても気づかないことが多い。
これはこれで直したい癖でもある・・・。